懲戒権の削除(民法改正)の影響や効果はある?政府の考えと民意が違いすぎると話題に

2019年2月18日、自民党馳浩元文部科学相が「懲戒権」を民法から削除するという旨を山下貴司法相に要請するという事が明らかになり話題になっています。

この動向に、ネットでは政府の考えと民意が違いすぎる。と、論争に。

民法を改正する懲戒権の削除は、子どもたちに良い影響、効果は出るのでしょうか?

懲戒権について

まず、懲戒権とは以下の通りで定義されています。

第822条

・親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる。

親権者は子の非行に対する教育のために、子の身体・精神に苦痛を加えるような懲罰手段をとることができる。もっとも、懲戒は子の利益のため、ひいては教育の目的を達成するためのものであるから、その目的のために必要な範囲内でのみ認められる。この範囲を逸脱して過度の懲戒を加えたときは、懲戒権の濫用となり、場合によっては、犯罪を構成することもありえる。

要するに、親は子供の教育を目的とするなら、身体・精神的に懲罰を与えても良いということ。

懲罰については、

デジタル大辞泉で、

  • こらしめのために罰を加えること。

という風に定義されています。

懲戒権の削除(民法改正)の影響や効果はある?

この、先述した懲戒権に対し、自民党馳浩元文部科学相は、

  • 子どもの成長に必要な教育は、体罰や暴言、暴力であってはならない。懲戒権は削除すべき。
  • 児童福祉法と児童虐待防止法を改正し、体罰禁止を明記すべき

と発言。

また、立憲民主党の枝野代表も懲戒権について、

  • 「純粋な法的な問題としては、虐待に当たるような行為にはすべて対応できるようになっていると思っているが、必ずしもそう読み取れない中で、悲惨な虐待が起きている」

と指摘。

今後、国会では「懲戒権」をめぐって議論が行われる事が予想されています。


これに対して、ネット上の意見は、

  • それも大事だけど、児相のまずい対応について、これから必要な対策を練るのが必要なのでは?
  • 虐待をしてしまう人が民法に懲戒権の規定を意識しているとは思えない。
  • 懲戒権云々が本質ではない。それで親の虐待が無くなるものではない。

という、法律云々ではなく、総合的な対策が必要であるのではないか?との意見が多数。

具体的には、

  • 児相の保護規定等の権限の強化
  • 虐待が判明した段階で原則無期限の保護の規定
  • 警察への通報を義務化
  • 虐待を行なった保護者への動機の解明や改善する為の矯正措置
  • 立件した場合の罰則強化策

等、その他多くのするべき事が挙げられています。

「暴力でのしつけは駄目ですよ。法律で決まってますよ。懲戒権なんて無いですよ。」

と、定義した所で根本的な解決になるはずもなく、虐待を受ける子供が無くなるわけではないのは、世の中に起こる数多くの法律違反の事件が起きているのを見ればわかる事。

完全には無くなるものではないものだからこそ「懲戒権」を無くすという事に力を入れて議論しあうより、救えたはずの子供たち、救うべき子ども達を守るべく直接的な対策をまず考えろというのは至極当然な意見です。

「懲戒権」の削除を達成し、「それで対策終わり」というような表面上を繕うだけのものにしようとしているのが今回の発言の意図であるなら、全く無意味な効果が無いものであるとしか言いようがありません。

 しかし虐待という問題自体、家庭内という他人の目の届きにくいとても閉鎖的な場所で起こるもの。

それゆえ「虐待」を「しつけ」というように、言い訳に使われてしまう現状もあります。

まずはその言い訳をさせないために「暴力(肉体的・精神的)はしつけではない。」という定義を作り、そこから児相の教育整備や、その他諸々の対策を段階的に整えていくという目的があるのなら、現状の何も対策されない状況より良くはなる可能性はありそうです。

懲戒権を削除する悪い影響として「暴力はしつけではない。」という定義により、先日起こった「生徒が教師にわざと殴らせて体罰とした。」というようなものと同様の事件も起こり得るかもしれません。

ただ、個人的には「親」をハメる「子供」に育ててしまったのなら、それは「親」の責任である。と言うのも思う所ではあります。

「小突いた・文句を言われた」を虐待ではなく、教育であるとお互いが認め合える信頼関係が親と子の間にあれば成立するはずのものであるはずです。

解決は難しい問題ですが、様々な場で取り上げられる事により、少しでも前に進み、救われる子供達が増えるきっかけになる事が大事であるとともに、他人事と思わない一人一人の意見がとても大事な問題です。

懲戒権削除に対する世間の反応